(2002・1)
2002年が幕を開けました。
昨年に九州へ戻ってきてからのワタシのテーマである、「近場を極める」という題目に沿って考えるに、この1月しょっぱなの乗り鉄紀行は、やはり近場で・・・正月でもあるし、これまで行ったことのないところも含めて、「初詣」ならぬ「神社めぐり」でもしてみるか、ということで、出かけてみることにしました。
正月休み最後の日である1月3日、計画は実行に移されました。
まずは地元の筑豊電鉄永犬丸電停へ。

いつものとおり、黒崎駅前行きの電車に乗ります。
やってきたのは、3車体連接の2000形。もう一つの主力形式である3000形のほうと比べて、やはりこちらのほうがかつての西鉄路面電車の雰囲気を色濃く感じられるので、ワタシはこの電車のほうに好んで乗ります。
黒崎に着き、JRのホームへ降りてきました。

ちょうど、大分行きの「ソニック21号」がやってきました。・・・っと、「白いソニック」と同形式の885系電車ではありますが、この車両は窓周りが黄色の「かもめ」用編成ですね。
この「かもめ」用編成(南福岡電車区SM4編成)、昨年末からこの正月の間まで、通常なら入ることのない「ソニック」の運用に入っていたようでした。「かもめ」用編成が通常7本配置6本使用で1編成の予備車が確保されているのにたいし、「ソニック」用編成は運用数ぎりぎりの4編成しかいないため、「ソニック」用編成(下の写真の車両が、その「ソニック」用編成ですね)が検査などで不足する際には「かもめ」用の予備編成が代走することがあるようです。
もともと、「ソニック」用編成の5両編成にたいして「かもめ」用編成は6両。この時期ですから、多客期向けの実質的な「増結」という意味合いもあったと思われます。
一方、博多行きの「ソニック20号」のほうは、通常どおりの「白いソニック」編成でやってきました。
この列車は、この日10分近く遅れて運転されており、超満員の車内にさらに乗客を詰め込むと、大慌てで発車していきました。

たまたま、ドア扱いをする運転車掌さんが、車内改札の関係からか最前部の乗務員室からドア扱いをしていました。ちょうどその位置はワタシが立っていた目の前のところで、ドア閉め合図の笛を車掌さんが真横で吹く格好になって、耳元で響く笛の音にちょっとびっくり!
車掌さんはワタシに「大きい音出してごめんね〜、突然駆け下りてくるお客さんがいるかもしれないから、これくらい鳴らさないとまずいんだよね〜」と謝ってくれておりましたが・・・。(^^;)
で、特急をやり過ごしたワタシが乗ったのは、こちら。811系4連で運転の快速大牟田行き。この電車も遅れてやってきました。
さきほど行った特急がデッキまで満員状態だったので、この快速もさぞかし混んでいるだろうと予想していましたが、実際は楽に席に座れてしまう状態。ちょっと拍子抜けでしたね・・・。文字通り価格破壊状態をつくりだしている特急回数券「2枚きっぷ」「4枚きっぷ」の効果か、やはり特急の利用者だけが極端に増えているようで・・・。
この快速電車は折尾を出ると、次は赤間まで停まらないんですが、さきの特急の遅れのあおりで、先行する普通電車も遅れてたもんですから、途中からは前を気にしながらの徐行運転となることに・・・。
写真は、遠賀川の鉄橋を渡るところ。前日は雪も舞ったこのあたり、この日は日差しが出ていましたが、ちょっと風が強くてですねぇ・・・。
赤間で先行の普通電車を追い抜き、快速電車は遅れを引きずったまま福間へ到着。ワタシはここで下車です。
・・・おっと、もうホームに看板が出てますね。そうです、第一の目的地は宮地嶽神社です。
駅前からは、西鉄バス宗像による臨時の初詣バスが出ていましたので、それを利用することにします。・・・しかし、参拝客の車で、神社へ向かう道は渋滞していましてねぇ・・・。(^^;)
それでもなんとか、宮地嶽神社に到着です。
この神社は創建から1600年に及ぶといわれ、写真にも写っている、日本一といわれる大注連縄(おおしめなわ)がひときわ目をひきます。このあたりでは、交通安全の神様として有名で、日本最大のバス運行事業者である西鉄グループのバス車内でも、ここのお守りをつけているのをよく見かけます。
ワタシ自身の交通安全の自戒の念もこめて、ここの交通安全のお守りをうちの車用に一つ買うことにしました。
窓ガラスなどに吸盤で取り付けるタイプの1000円のお守りを買いました。お守りを買った際に、お守りを渡してくれた巫女さんたちが「ようこそ、お参りでした」と一声。なるほど、そういう流儀があるんだなぁ、と思いながら、いそいそと境内を後にしたのでした。
神社から歩いて、西鉄宮地岳線の宮地岳駅にやってきました。
第二の目的地へ向かうべく、ここから貝塚行きの電車に乗り込みます。
やってきた電車は600形、もともと大牟田線(現在の天神大牟田線)で走っていた車両が、台車取り替え、ワンマン化改造ののちに転属してきたものです。台車取り替え、というのも、天神大牟田線は軌間1435mm、この宮地岳線はJR在来線などと同じ1067mmで、レール間隔が違うから、なんですね。

写真は、途中の西鉄新宮駅にて、行き違いの場面です。
ということで、貝塚で福岡市営地下鉄に乗り継ぎます。
中洲川端行きとしてやってきたのは写真の2000系。VVVFインバータ制御方式を採用している最新形式ですね。前面にはサッカーの地元チーム・アビスパ福岡(2002年シーズンからJ2リーグに降格になってしまいますが・・・)を応援するステッカーが貼られておりました。

ここから2駅、電車を降りました。
その駅は、箱崎宮前。ふつうなら「はこざきぐうまえ」と読みそうなところですが、ここの場合は「はこざきみやまえ」と読みます。
ということで、第二の目的地は、筥崎宮、ということになりました。ここは、宇佐、石清水の両八幡宮とともに日本三大八幡の一つといわれるところ。
ちょうどこの日、主要祭事の一つである「玉取祭(玉せせり)」がおこなわれたあとで、まだその熱気が残っているような状況でした。
ここで、「?」なものを発見!
いきなり、「今年初めの運だめし」と題して、北海道旅行が当たる福袋の応募用紙が置いてあったんですよね〜。(^^;)
最近の神社はこんなことまでやってるんだねぇ、と思いながらも、おもむろに鉛筆を握って応募用紙に記入しているワタシが、そこにいました。(爆)
こちら、国の重要文化財にも指定されている楼門なんですが、ここに掲げられている額に刻まれた文字は「敵国降伏」というもの。
・・・鎌倉時代以降は武神として武士たちの信仰を集めたといわれる筥崎宮。元寇襲来という外圧を受けていた時代背景もあったのではないかと容易に推察できますが・・・。
で、その写真の位置から振り返ると、こんなところが・・・。
300円でおみくじをひく「鳩みくじ」というものなんですが、そのおみくじに景品がついてくるというもので、大当たりだと旅行ご招待なんていうのもあったようです。
ワタシも試しに引いてみましたが・・・。
・・・当たったのは、ご覧のように「開運箸」でした。(^^;)
ただし、おみくじのほうは「吉」と出て、しかもなかには「病気 快癒間違いなし」という内容も書いてありましたんで、これはいいほうに解釈してこの1年を期待を持って過ごしてみようかな、という気になりましたね、ハイ・・・。
「吉」と出たところで、またまた移動開始です。(笑)

再び地下鉄に乗り込み、天神へ移動します。
車両は先ほどと同じ2000系。ドア上の鴨居部にはこのような停車駅表示と、液晶による案内表示がついていました。
天神に着いて、ワタシは歩いて西鉄天神大牟田線の西鉄福岡(天神)駅へ移動します。
第三の目的地となるのは、全国の天満宮の総本社である大宰府天満宮。そこへは西鉄電車を使うのが便利だろうということなんですが・・・駅では、写真のような「一千百年大祭」記念の大宰府までの往復乗車券も販売しておりまして、思わず買ってしまいました。
たまたまホームに停まっていた6000形車両の急行大宰府行きに乗り込んで、乗り換えなしで大宰府へ向かうことにします。
先日、このあたりで西鉄電車に乗った際には各駅停車の電車だったんでそれほど感じなかったんですが、停車駅の少ない急行に乗ってみると、けっこうスピードでてるんですね、これが・・・。
西鉄二日市からはスイッチバックする形になり、進行方向が逆転した状態で大宰府線に入っていきます。
かなり急な右カーブになっていまして、6両編成の最後部から、ごらんのように編成の前のほうが見えていました。

途中駅の五条で対向列車行き違いのあと、終点の大宰府へ。天神からはおよそ30分ほどで到着です。
ということで、大宰府に到着しました。
一番改札から遠い位置に乗っていたので、ホームを延々と歩いていくことに・・・。
こちら、大宰府駅舎です。駅前には、JRの二日市駅から天満宮への参拝客を運んでいる西鉄の臨時バスの姿もありました。
ここから天満宮までは、通常なら5分も歩けばたどりつくんですが・・・。
この日ばかりは人ごみがすごくて思うように進めませんでしたね。
やっと境内に入ってきました。こちらは心字池をまたぐ太鼓橋。この池のあたりは、最近改修工事を受けたようで、きれいになっていました。

この大宰府天満宮は、ご存知のとおり「文教の祖神」といわれる菅原道真公をまつっています。今年は、その道真公が亡くなり、天神様となってから1100年目にあたるということで、さきほど記念きっぷにも出てきた「一千百年大祭」ということになり、いろいろな行事がこれから1年にわたっておこなわれるということでした。
天満宮の社殿の前に到着しました。
さすがに、学問の神様として知られる大宰府天満宮だけあって、受験生とみられる若い人たちがたくさんお参りしているようです。

ちなみに、筥崎宮でやっていた、北海道旅行が当たる福袋の応募用紙、ここ大宰府天満宮にも置いてありました。思わずここでも、応募用紙に記入しているワタシ・・・。(爆)
そういうことで、ぼちぼち引きあげていくわけですが、やはり大宰府に来たからにはこれを食べておかないと、ということで、大宰府名物の梅ヶ枝餅を1個(105円)買うことにしました。
梅ヶ枝餅を扱っている店は、駅から天満宮へ行くまでの間にいくつもあるんですが、こういうときは、少々列ができて待たされるくらいのお店がちょうどいい感じですね。焼きたてのアツアツを食べられますから。
・・・ちょっと風が冷たいもんで、この熱さがたまんないです、もぅ・・・。(笑)
大宰府駅から再び西鉄電車に乗り、二日市で写真の8000形特急電車に乗り継ぎます。
特急はここを出ると、途中薬院にしか停まりませんので、やっぱり速いですわね・・・。
お客さんが多くて、席には座れませんでしたが。
天神まで戻って、再び地下鉄へ。
福岡空港行きの電車を待っていると、やってきたのはJR筑肥線から乗り入れの103系1500番台車でした。
2駅先の祇園で降りました。さて、第四の目的地は・・・。
この写真の場所。ここは櫛田神社です。
ここは、博多の総鎮守といわれる神社で、古くから庶民に親しまれているところ。
毎年7月に美しい飾り山と、勇壮な舁(か)き山とで博多の街を賑わす「博多祇園山笠」は、この神社のお祭りです。ということで・・・。
・・・境内には、このように通常は「山笠」の期間中にしか見られないはずの飾り山が置いてありました。(実は、ここでは常設展示になっているそうで)
まさか、季節はずれのこの時期に見られるとは思っていなかったので、非常に得した気分でした。
櫛田神社の境内をつきぬけて、川端通り側へ出てくると、そこにはこのようなものが・・・。
これ、いま若者に人気のスポットの一つである「キャナルシティ博多」の入り口なんですね。櫛田神社の入り口の真向かいに、こんなふうなきらびやかなものをつくらなくても、と思うんですけども・・・。

ここで神社めぐりからは外れてしまうんですが、この「キャナルシティ」のなかに、ちょっと気になるものができた、ということで、覗いてみることにしました。
それは、こちらの「ラーメンスタジアム」。新横浜の「ラーメン博物館」ほど規模は大きくないんですが、全国ご当地麺と九州麺のラーメン対決、と銘打って、北海道から喜多方、東京、横浜、博多、熊本など8店舗のラーメン店が出店し、味を競っているんですね。
入れるようなら晩飯でも、と考えたんですが、行列ができて入場制限中、しかも店によってはなんと90分待ち!というすさまじい状態になっていたので、今回はあきらめました。まぁ、そのうちまた来るさっ・・・。
100円で乗れる西鉄の都心循環バスに乗って、博多駅まできました。
こちら、博多口の駅ビルですが、この駅ビルも、九州新幹線が博多まで開業するころには、新しい建物にかわってしまうようで、子供の頃から見慣れていた建物とも、じきに別離ということになるでしょう。
寂しいですがね・・・。
さて、第五の目的地へ向かうのに、ワタシはここから新幹線で小倉へとワープ(笑)することにしました。

新幹線ホームへ上がってきました。12番ホームでは、JR東海の700系C9編成が、「のぞみ30号」東京行きとして発車を待っていました。
しかしながら、「のぞみ30号」は本来JR西日本の500系編成で運転される列車・・・この日、東海地方での大雪の影響で、新幹線のダイヤは大幅に乱れていました。車両の運用も遅れで大幅に乱れ、その関係で車両が差し替わったのでしょうね、おそらく。

ちなみに、1号車の先頭部には、逃げ切れずにぶつかってしまったと思われるハトの血痕と「残骸」が残ったままになっていました。高速時代に突入した新幹線、車両のスピードが上がる中で、このように鳥や動物が犠牲になるケースも増えているようです。
・・・とにかく、ぶつかってしまったハトに、合掌・・・。
上写真の「のぞみ」と、1本あとの「ひかりRail Star」をやり過ごし、ワタシは「こだま684号」小倉行きに乗り込むことにします。
車両は、100系編成の「こだま」用短縮バージョンであるP4編成でした。小倉から下ってきた「こだま687号」の編成が折り返しでそのまま充当されるようです。

このP4編成は、客室内のシート配置が100系普通車デフォルトの3+2列ではなく、かつての「ウエストひかり」同様の幅広シートの2+2列に変更されていました。JR西日本管内のみを走る「こだま」用車両は、やがてはこの配置に変更されていくようです。
正月でもあり通勤客はほとんどおらず、おかげさまでのんびりと座って過ごすことができましたね。(^^;)
博多を出てからおよそ20分で小倉に到着です。
ここから、歩いて最後の目的地へ向かいます。
やってきたこちらは、小倉城北の丸跡にある八坂神社です。
かつて、小倉藩主だった細川忠興が、1617年に小倉城下の鋳物師町に創建したのが始まりといわれ、その後昭和になってから、現在地に移されたとのこと。
全国的にも名を知られている「小倉祇園太鼓」は、この神社の夏祭りなんですよね。

ワタシ自身、この神社には子供の頃から何度も来ているんですが、こういう夜の暗くなった中でやってきた記憶は、実はありません。
もちろん、境内でかがり火が焚かれているというのも、初めて見た光景でした。
少し奥へ入ってみると、小倉城の天守閣がライトアップの光を浴びて、夜の闇の中に浮かび上がっているのが見えました。
ライトアップされた小倉城をまじまじと眺めるのも、実に久しぶりのことでした。
ということで、結局「五社参り」という形になってしまいましたが、なんとか計画どおりの行程を終えて、JRの電車で帰路についたのでした。

正月からこれだけの神社をまわるというのは、これまでにない体験でした。郷里から近いところにありながら、いままで行ったこともなかったところ、あるいは知らなかったことを知る、ということで、当初掲げていたテーマに沿った形での「郷里再発見」的な内容になったと思います。
ワタシ自身は無宗教で通していますが、これら神社の中には文化財的な価値の高い建物や所蔵品を持っているところもありますし、あとは気持ちの問題として、今年一年、自分を奮い立たせながらやっていこう、という気持ちを、この日の「神社めぐり」のなかで確認できたことが、大きな収穫だったと思います。「神頼み」でなく、自分のなかから、というところに、意味があります。

ということで、今年一年どう展開するかはまだ分からない部分もありますが、可能な限り、旅行記を通じていろいろなことをみなさんにご紹介できるようにがんばりますので、どうかよろしくお願いします。
<おわり>